大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

横浜地方裁判所 昭和60年(ワ)675号 判決

原告(反訴被告) 金子静

〈ほか一一七名〉

右一一八名訴訟代理人弁護士 用松哲夫

同 小林行雄

右弁護士用松哲夫訴訟復代理人弁護士 縄稚登

同 松本博

同 佐野栄三郎

同 太田孝久

同 若松巌

同 岸和正

同 由岐和広

同 山田捷雄

同 斉藤敏博

被告(反訴原告) 国

右代表者法務大臣 高辻正巳

右指定代理人 遠山廣直

〈ほか一一名〉

主文

一  原告らの本訴請求をいずれも棄却する。

二  反訴被告らは、反訴原告に対し、別紙物件目録記載の土地について、別紙共有持分割合目録記載の各持分割合に応じて、昭和一八年九月三〇日売買を原因とする所有権移転登記手続をせよ。

三  訴訟費用は、本訴について生じた部分は本訴原告らの負担とし、反訴について生じた部分は反訴被告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

(本訴請求について)

一  請求の趣旨

1 被告は、原告らに対し、別紙物件目録記載の土地を明け渡せ。

2 被告は、原告らに対し、それぞれ別紙請求金額目録「「請求金員」欄記載の各金員及び昭和五七年一月一日から別紙物件目録記載の土地の明渡しずみまで一か月につき同目録「月額相当賃料額」欄記載の各金額の割合による金員を支払え。

3 訴訟費用は被告の負担とする。

4 仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1 主文第一項同旨

2 訴訟費用は原告らの負担とする。

3 仮執行免脱宣言

(反訴請求について)

一  反訴請求の趣旨

1 (主位的請求)

主文第二項同旨

2 (予備的請求)

反訴被告らは、反訴原告に対し、別紙物件目録記載の土地について、別紙共有持分割合目録記載の各持分割合に応じて、昭和一八年一二月三一日時効取得を原因とする所有権移転登記手続をせよ。

3 訴訟費用は反訴被告らの負担とする。

二  反訴請求の趣旨に対する答弁

1 反訴原告の請求を棄却する。

2 訴訟費用は反訴原告の負担とする。

第二当事者の主張

(本訴請求について)

一  請求原因

1 別紙共有持分割合目録の1ないし29記載の元共有者(同当事者目録記載の原告59を含む。以下「本件元共有者」という。)は、もと別紙物件目録記載の土地(以下「本件土地」という。)を各人の所有権の持分割合各二九分の一あてで共有していた。

2 相続関係

(一) 金子宇八関係

金子宇八は昭和二七年四月二日死亡した。金子ギンはその妻であり、別紙当事者目録記載の原告1(以下「原告1」のように略していう。)はその子である。右金子ギンは昭和四六年一月一九日死亡した。

(二) 山口哲之助関係

山口哲之助は昭和三六年一二月三日死亡した。山口ウメノはその妻であり、原告2及び3はその子であり、原告4はその養子である。右山口ウメノは昭和四二年八月一七日死亡した。

(三) 山口勝太郎関係

山口勝太郎は昭和四〇年二月二六日死亡した。原告5及び市川武雄はその子である。右市川は昭和五五年二月一六日死亡した。市川フクは右市川武雄の妻であり、原告6ないし8はその子である。右市川フクは昭和五五年五月一六日死亡した。

(四) 山口武敏関係

山口武敏は昭和六二年二月一五日死亡した。原告9はその子である。

(五) 山口謙藏関係

山口謙藏は昭和五八年二月三日死亡した。原告10はその子である。

(六) 山口正繁関係

山口正繁は昭和四五年五月六日死亡した。原告11はその妻であり、原告12ないし19はその子である。

(七) 山口信吉関係

山口信吉は昭和四三年八月一四日死亡した。山ロキクはその妻であり、原告20ないし25はその子である。右山口キクは昭和五八年四月二一日死亡した。

(八) 戸井田長作関係

戸井田長作は昭和二二年四月一九日死亡した。戸井田榮はその家督相続人である。右戸井田榮は昭和五五年九月一八日死亡した。戸井田まきはその妻であり、原告26ないし35はその子である。右戸井田まきは昭和六三年四月五日死亡した。

(九) 戸井田三之助関係

戸井田三之助は昭和二〇年一二月一六日死亡した。原告36はその家督相続人である。

(一〇) 戸井田己由関係

戸井田己由は昭和五〇年六月一四日死亡した。原告37はその妻であり、原告38ないし41はその子である。

(一一) 小菅眞馬関係

小菅眞馬は昭和四四年五月八日死亡した。小菅コマはその妻であり、小菅孝太郎及び原告42、46ないし49はその子である。右小菅コマは昭和四八年二月五日死亡した。右小菅孝太郎は昭和五三年一二月四日死亡した。原告43はその妻であり、原告44及び45はその子である。

(一二) 柴田勝生関係

柴田勝生は、昭和五八年六月三日死亡した。原告50はその子である。

(一三) 柴田俊雄関係

柴田俊雄は昭和四三年一〇月二一日死亡した。原告51はその妻であり、原告52ないし55はその子である。

(一四) 柴田清関係

柴田清は昭和二三年六月二七日死亡した。原告56はその妻であり、原告57及び58はその子である。

(一五) 柴田伊勢松関係

柴田伊勢松は昭和三〇年七月四日死亡した。柴田シマはその妻であり、原告60はその子である。右柴田シマは昭和五二年二月二七日死亡した。

(一六) 柴田吉寿関係

柴田吉寿は昭和五五年八月二四日死亡した。原告61はその妻であり、下田早苗及び原告62、66ないし68はその子である。右下田早苗は昭和五九年四月五日死亡した。原告63はその夫であり、原告64及び65はその子である。

(一七) 金子浅五郎関係

金子浅五郎は昭和二一年五月一日死亡した。金子信七はその子である。右金子信七は昭和六二年一二月七日死亡した。原告69はその妻であり、原告70ないし73はその子である。

(一八) 金子武助関係

金子武助は昭和二九年三月三〇日死亡した。金子滿治、金子勇及び片桐テルはその子である。原告83ないし85は右金子勇(昭和二二年四月八日死亡)の子である。右金子滿治は昭和六〇年一一月一一日死亡した。原告74はその妻であり、原告75ないし82はその子である。右片桐テルは昭和四九年八月二四日死亡した。原告86はその夫であり、原告87ないし90はその子である。

(一九) 金子翁助関係

金子翁助は昭和二一年六月六日死亡した。原告91はその家督相続人である。

(二〇) 近藤昌平関係

近藤昌平は昭和四三年七月九日死亡した。原告92ないし96はその子である。

(二一) 近藤會藏関係

近藤會藏は昭和四二年八月二三日死亡した。近藤信之及び原告97、99ないし104はその子である。右近藤信之は、昭和六三年一二月三日死亡した。原告98は右近藤信之の妻である。

(二二) 近藤常義関係

近藤常義は昭和四六年九月二四日死亡した。原告105はその養子である。

(二三) 近藤重一関係

近藤重一は昭和三六年一〇月二二日死亡した。原告106ないし110はその子である。

(二四) 戸井田啓太郎関係

戸井田啓太郎は昭和五六年一一月二日死亡した。原告は111ないし117はその子である。

3 被告は、遅くとも昭和一八年一月一日ころ、本件元共有者の本件土地の占有を侵奪し、本件土地の占有を開始した。その後、被告は、昭和二〇年八月一五日、アメリカ合衆国により本件土地の占有を奪われたが、昭和四六年六月二五日締結された日米政府間協定により、本件土地の共同使用が認められ、本件土地の占有を回復し、現在、本件土地を占有している。被告は、昭和二〇年八月一五日から同四六年六月二四日までの間本件土地の占有を喪失しているが、被告の故意又は過失によりアメリカ合衆国と戦争を開始し、そのため本件土地の占有を合衆国により奪われたのであるから、被告は、右期間についても本件元共有者又は原告らが本件土地を使用収益することができなかったことにより被った損害を賠償する責任がある。

4 本件土地の昭和一八年一月一日以降の相当賃料額は、次のとおりである。

(一) 昭和一八年一月一日から同二一年一二月三一日まで一か月金五〇〇円 合計二万四〇〇〇円

(二) 同二二年一月一日から同二六年一二月三一日まで一か月金二〇〇〇円 合計一二万円

(三) 同二七年一月一日から同三一年一二月三一日まで一か月金六〇〇〇円 合計三六万円

(四) 同三二年一月一日から同三六年一二月三一日まで一か月金一万円 合計六〇万円

(五) 同三七年一月一日から同四一年一二月三一日まで一か月金二万円 合計一二〇万円

(六) 同四二年一月一日から同四六年一二月三一日まで一か月金四万円 合計二四〇万円

(七) 同四七年一月一日から同五一年一二月三一日まで一か月金八万円 合計四八〇万円

(八) 同五二年一月一日から同五六年一二月三一日まで一か月金一二万円 合計七二〇万円

(九) 同五七年一月一日から一か月金一五万円

5 よって、原告らは、被告に対し、本件土地の共有持分権に基づき、本件土地の明渡しを求めるとともに、不法行為による損害賠償請求権に基づき、別紙請求金額目録「原告」欄記載の各原告に対し、昭和一八年一月一日から同五六年一二月三一日までの損害金として同目録「請求金員」欄記載の各金員及び同五七年一月一日から右明渡しずみまでの損害金として一か月につき同目録「月額相当賃料額」欄記載の各金額の割合による金員の支払をそれぞれ求める。

二  請求原因に対する認否

1 請求原因1、2の事実は認める。

2 請求原因3の事実のうち、被告が昭和一八年一二月三一日以降本件土地を占有していること及び現在本件土地を占有していることは認めるが、その余の事実は否認する。

3 請求原因4の事実は否認する。

4 請求原因5は争う。

三  抗弁(所有権喪失)

1 買収

(一) 被告は、昭和一八年九月三〇日、本件土地を旧相模野海軍航空隊が駐在する帝都防衛海軍基地(現在の厚木海軍飛行場である。)用地の一部として本件元共有者の一人である山口哲之助から代金七五五円(坪当たり五円)で買収した。

(二) 山口哲之助は、右買収に先立って、他の本件元共有者から代理権を授与され、右買収の際、他の本件元共有者のためにすることを示した。

2 取得時効

(一) 被告は、遅くとも昭和一八年一二月三一日、本件土地を周辺土地とともに厚木海軍飛行場の用地として使用して占有していた。

(二) 被告は、昭和三五年六月二三日以降、「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」(昭和三五年条約第六号)第六条及び「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定」(昭和三五年条約第七号)二条に基づき、アメリカ合衆国軍隊に対し、本件土地を含む厚木海軍飛行場の使用を許可しているものであり、現在、アメリカ合衆国軍隊を介して本件土地を占有している。

(三) 被告は、右(一)の占有開始時において、善意無過失であったので、昭和二八年一二月三一日の経過により、被告のため本件土地の取得時効が完成した。

仮に、右取得時効が認められないとしても、昭和三八年一二月三一日の経過により、被告のため本件土地の取得時効が完成した。

(四) 被告は、昭和五八年六月二三日の本件口頭弁論期日において、右時効を援用した。

(四) 抗弁に対する認否

1 抗弁1の(一)、(二)の各事実は否認する。

本件土地は、昭和一六年一〇月六日、山口哲之助ほか二七名が、金子宇八から共有持分二九分の一ずつを買い受け、金子宇八を含めて二九名が共有して共同墓地として使用していたものである。すなわち、本件元共有者を含む綾瀬町の住民は、昭和一六年六月六日、海軍省(横須賀海軍施設部)から先祖伝来の居住地からの立退きを命ぜられ、それに伴い従前所有していた各人の墓地も土地家屋とともに移転せざるをえなくなった。そこで、本件元共有者は、昭和一六年八月、横須賀海軍施設部の了承を得て、本件土地を共同墓地とすることに決め、同年一〇月六日、金子宇八より前記のとおり本件土地を買い受け、同年一二月一一日、墓域の割り振りをし、同月一六日、墓を本件土地に移した。ところが、昭和一八年八月一七日になって、右施設部により本件土地一帯を飛行場用地にするため、突然、本件元共有者に対し、立退命令が発せられ、本件元共有者は、何らの猶予も与えられず、墓の移転を余儀なくされ、本件土地は、昭和一九年二月ころ、柵で囲われ立入禁止とされてしまった。

以上のように、本件土地の墓地移転については、事前の軍による説明は全くなく、突然に一方的に立退命令が出されて即刻移転させられたのであり、契約の締結も代金の授受もなく、当事者が関係書類に押印した事実もないのである。

2 抗弁2の(一)及び(二)のうち占有の事実は認める。(三)は争う。

五  再抗弁(抗弁2に対し)

1 所有の意思の不存在

被告の本件土地占有は、次のとおりの事情により開始されたものであり、所有の意思をもって始められたものでないことが明らかである。

(一) 被告は、本件土地の占有を開始するに当たって、所有者に対し何らの対価も支払わず、一方的に接収した。仮に、金銭の授受があったとしても、本件土地の所有権の対価としての相当性がなく、立退きの補償として支払われたものとみるべきである。

(二) 被告の本件土地所有は、日中戦争から太平洋戦争に至る過程で戦争遂行のための海軍航空基地建設を目的としたものであり、したがって、戦争が終結すれば軍の使用は解除となり、本件元共有者に返還されることが予定されていたのであり、被告は永久的に使用する意思を有していなかった。

(三) 本件土地の所有名義人は、本件元共有者ないし原告らのままであり、被告は、原告らに対し、昭和一八年から昭和五三年まで所有権移転登記手続の請求をしなかった。

2 強暴の占有

被告による本件土地の占有は、太平洋戦争が激化している時に、戦争遂行のためという大義名分の下、当時最大の権力者であった軍部の一方的な命令により強権的に開始されたものであり、これに従わないものに対しては憲兵の力を借りて立退きを強制したのであって、被告の占有は強暴の占有である。

3 取得時効の自然中断

被告は、昭和二〇年八月一五日、アメリカ合衆国軍隊の占領により、本件土地の占有を奪われた。

4 信義則違反ないし権利濫用

次の事情を考慮すると、被告の時効援用は、信義則違反ないし権利濫用に当たり許されないというべきである。

(一) 本件土地は終戦後米軍に接収管理されたため返還されなかったのであるが、本件土地と同様に戦時軍用地として使用され戦後返還された土地が多数あるのに比して、被告又はアメリカ合衆国軍隊の都合により返還されなかった本件土地に対してなお時効取得を援用するのは、被告の施策の公平性を損なうものである。

(二) 本件土地を含む厚木海軍飛行場は、昭和二〇年九月二日、アメリカ合衆国軍隊に接収され、昭和二七年四月二八日の平和条約の発効後は、合衆国に提供されているのであって、本件元共有者又は原告らが返還を請求することは事実上不可能であったから、被告主張の取得時効の完成前に本訴を提起しなかったことはやむを得なかった。

(三) 昭和二七年の平和条約発効に伴ない、厚木海軍飛行場内の蓼川、本蓼川及び深谷地区で正式に返還運動が起き、昭和三六年には綾瀬町議会で返還要求決議がされ、昭和三八年には地域代表が防衛施設庁に交渉を求め、昭和四六年には綾瀬町基地対策協議会が設立され、昭和五二年一二月、厚木基地旧地権者対策協議会が設立され、被告の機関である横浜防衛施設局との間で交渉が繰り返されてきたのであり、本件元共有者及び原告らが権利の上に眠っていたとはいえず、被告が本件土地の所有者であるという外形が継続していたわけではない。

六  再抗弁に対する認否

1 再抗弁1は争う。

(一)及び(二)の各事実は否認する。

(三)の事実のうち、本件土地の所有名義人が本件元共有者ないし原告らのままであることは認めるが、被告が原告らに対し昭和五三年まで所有権移転登記手続の請求をしなかったことは否認する。被告は、昭和五三年以前から本件土地について被告名義への所有権移転登記の実現を図るべく関係者と折衝していた。

2 再抗弁2の事実は否認し、被告の占有が強暴の占有に当たるとの主張は争う。

3 再抗弁3の事実は否認する。

本件基地は、終戦後連合国軍を構成するアメリカ合衆国軍隊に接収され、その管理下に置かれたものであり、連合国軍の統治方式は日本政府を介して間接統治をなしたものであって、連合国軍は不動産及び動産を問わず一切の調達は日本政府を介して要求したのであり、日本政府は、不動産等を連合国軍の用に供するために国内法令に基づき所要の手続を経て供したものであるから、被告が、アメリカ合衆国軍隊を介して本件各土地を間接占有していたことは明らかであり、アメリカ合衆国軍隊により占有を奪われたことはない。

4 再抗弁4は争う。

(一)は争う。

(二)の事実のうち、本件土地を含む厚木海軍飛行場が、昭和二〇年九月二日、アメリカ合衆国軍隊に接収され、昭和二七年四月二八日の平和条約の発効後は、合衆国に提供されていることは認めるが、その余は否認する。

(三)の事実は知らない。

(反訴請求について)

一  請求原因

1 本訴請求原因1及び2のとおり。

2 戸井田清治は昭和五二年三月八日死亡した。戸井田治三郎はその養子である。右戸井田治三郎は昭和五九年五月二七日死亡した。反訴被告戸井田國輝はその子である。

3 本訴抗弁1及び2のとおり(ただし、「被告」は「反訴原告」と読み替える。)。

4 本件土地については本件元共有者ないし反訴被告らの共有名義の所有権移転登記がなされている。

5 よって、反訴原告らは、反訴被告らに対し、主位的に売買契約(本訴抗弁1)に基づき、本件土地について別紙共有持分割合目録記載の各持分割合に応じて、昭和一八年九月三〇日売買を原因とする所有権移転登記手続を、予備的に本件土地の所有権に基づき、同年一二月三一日時効取得を原因とする所有権移転登記手続を求める。

二  請求原因に対する認否

1 請求原因1(本訴請求原因1及び2)の事実は認める。

2 請求原因2の事実は認める。

3 請求原因3については本訴抗弁1及び2に対する認否のとおり。

4 請求原因4の事実は認める。

5 請求原因5は争う。

三  抗弁

本訴再抗弁1ないし4のとおり(ただし、「被告」は「反訴原告」と、「原告ら」は「反訴被告ら」と読み替える。)。

四  抗弁に対する認否

本訴再抗弁1ないし4に対する認否のとおり(ただし、「被告」は「反訴原告」と、「原告ら」は「反訴被告ら」と読み替える。)。

第三証拠《省略》

理由

第一本訴請求について

一  請求原因1、2について

請求原因1、2の事実については、当事者間に争いがない。

二  抗弁1(買収)について

1  《証拠省略》を総合すれば、次の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》

(一) 被告(海軍省)は、昭和一三年から同一六年にかけて、旧相模野海軍航空隊(昭和一八年一〇月以降は、旧厚木海軍航空隊及び第一、第二相模野海軍航空隊に改編された。)敷地として、当時の神奈川県高座郡大和町と綾瀬村にまたがる農地又は山林等を買収し、航空基地を建設し、昭和一六年六月六日右海軍航空隊が駐在する帝都防衛海軍基地(以下「本件基地」という。)として実際に使用を開始したが、その後も、本件基地の拡張のため周辺土地の買収を進めることとしていた。

(二) 本件基地の用地買収を行っていたのは、横須賀鎮守府所属の横須賀海軍建築部(昭和一八年八月一八日以降同海軍施設部となった。)であり、海軍大臣から横須賀鎮守府司令長官に対し、用地買収の訓令が出されると、その訓令に基づいて長官から右施設部長に対しその授達がなされ、その授達に基づいて右施設部の用地買収担当者が、一筆ごとに所轄税務署、市町村役場について調査し、買収についての調書(土地買収調書)を作成し、それによって、土地売渡書、登記承諾書を作成し、また、工事については工事着工承諾書を作成し、さらに、買収すべき土地の適正な評価額についての資料を集めた上、買収額予定単価を定め、その後当該市町村長に対し買収交渉のため関係土地所有者の参集方を依頼し、定められた日時に契約担当者(会計主任又は財務主任)が現地に赴き、用地買収交渉を行っていた。そして、買収交渉においては、軍需施設としての必要性の説明のほか、買収価格が明示され、参集者の承諾を得て、土地売渡書及び登記承諾書に捺印をもらうなどの手続きが行われた。そして、代金の支払については、原則として所有権移転登記の完了後にされることとなっていたが、昭和一五、六年ころ、海軍省経理局長、建築局長から所有権移転登記に支障がなければ登記完了前でも支払ってよい旨の通牒が出され、戦争が熾烈になった昭和一八年ころからは右通牒に従って登記完了前に支払がされるようになり、資金前渡官吏が支払を担当していた。また、昭和一八年ころには買収件数も多くなった上、事務に熟練した男子職員が応召し、その補充は女子によりされたため、買収手続には二、三か月程度を要するようになった。

(三) 横須賀海軍施設部は、昭和一六年五月下旬ころ、綾瀬村役場の担当職員を通じて、本件元共有者を含む買収対象土地所有者に対し、同年六月六日午前一〇時、印鑑(実印)持参の上同役場に出頭するよう通知した。右土地所有者約二〇〇名は、同日時、綾瀬村役場に参集したが、同役場では右土地所有者を収容し切れず、参集場所が同村国民学校講堂に変更されたため、右土地所有者は右講堂に参集した。

(四) 右講堂に並べられた机上には買収対象土地所有者の氏名が記入され、右土地所有者は、所定の場所に着席した。右講堂の正面には買収対象土地を示した拡大地図が掲示されており、横須賀海軍施設部の買収担当職員であった主計大佐渡辺が右土地所有者に対し、国家の非常事態であるから、軍の施設のために各自の所有土地を提供するよう要請した。右渡辺の説明は数十分間続き、参集者は、当時の戦局などからすると軍が使用することもやむをえないとの気持ちで、買収に反対の意思を表示する者はおらず、右渡辺は、売渡承諾書等関係書類に参集者の捺印を得た。以上の手続には約一時間を要した。売買代金は、おおよそ山林原野は反当たり五〇〇円、畑は反当たり六三〇円ないし六四五円、墳墓は坪当たり五円、宅地は坪当たり三円五〇銭ないし三円七五銭と決められていた。なお、昭和一六年六月六日に出席できなかった者に対しては、同月一〇日ころ、綾瀬村役場の職員を通じて、買収対象土地の提供を申し込み、関係書類に捺印を得た。

(五) 横須賀海軍施設部は、昭和一六年六月一〇日ころ、同月六日の買収対象土地の所有者に対し、綾瀬村役場の職員を通じて、買収対象土地を特定した上、同年一二月三一日までに右買収対象土地上の家屋等を撤去して右土地を明け渡すよう命ずる移転命令書を送付し、右買収対象土地のうち山林、畑の部分については、間もなく格納庫等軍事施設の建設を開始し、そのころまでに、同年六月六日の買収対象土地と非対象地との境に有刺鉄線又は柵を張りめぐらして立入禁止とした。これにより右買収対象土地が現地において明確になったが、右買収対象土地所有者のうち異議を述べるものはなかった。右買収対象土地は、綾瀬村蓼川地区のうち南半分に当たる上ノ原、中ノ原、銭取塚、狐ヶ原などであり、右土地について昭和一七年二月までに昭和一六年六月六日売買を原因とする被告(海軍省)名義の所有権移転登記又は同名義の所有権保存登記がなされた。右買収対象土地の中には、本件元共有者(金子宇八を除く。)の墓地が含まれていたが、本件土地は含まれていなかった。

(六) そこで、本件元共有者(金子宇八を除く。)は、綾瀬村の常設委員である近藤重平に墓地の代替地の購入方を依頼していたところ、同年一〇月六日、金子宇八から当時山林であった本件土地を坪当たり五円(七五五円)で共同して(各共有持分二九分の一)買い受け、共同墓地とすることになり、同日所有権移転登記を経由した。そして、同年一二月一一日、墓域の割り振りをし、それぞれ旧家屋敷地内に設置してあった墓地を共同墓地に移した。

(七) 横須賀海軍施設部は、昭和一八年八月、さらに本件基地の拡張を進めるため、近藤重平らを通して本件土地が買収の対象となったことを連絡し、同月一七日、本件元共有者ら買収対象土地所有者に対し、綾瀬村役場職員を通じて、本件土地など買収対象土地を特定した上、同年一一月一五日までに右買収対象土地上の家屋等を撤去して右土地を明け渡すことを命ずる移転命令を送付したが、被告(海軍省)は、右移転命令を発するに際し、買収対象土地所有者の参集を求め、買収の交渉を行ったことはなかった。

(八) 被告(海軍省)は、その後、間もなく、右買収対象土地と非対象地との境に有刺鉄線又は柵を張りめぐらして立入禁止とした。これにより右買収対象土地が現地において明確になったが、右買収対象土地所有者のうち異議を述べるものはなかった。右買収対象土地は、綾瀬村蓼川地区のうち西部の上ノ原、銭取塚、櫻ヶ岡など昭和一六年六月六日の買収対象土地に隣接している地域であり、本件土地を除く右買収対象土地については、昭和一九年二月、昭和一八年九月三〇日売買を原因として被告(海軍省)のために所有権移転登記がなされた。

(九) 横浜防衛施設局施設部施設管理課に保管されている旧海軍土地買収調書写し(乙第一号証)には、その表紙に「昭和一八年九月三〇日買収」「相模野航空隊追加買収(深谷、蓼川、本蓼川)」とあり、買収地の一つとして本件土地(右乙第一号証表紙を含めて三丁目裏最後尾)が挙げられ、代価は七五五円である旨の記載があり、また、綾瀬市に保管されている(旧)海軍省買収地調書写し(乙第一二号証の二)には、その表紙に「買収地にて登記未了の分」「但し代金は全部領収済」とあり、買収地の一つとして本件土地が挙げられ、代価は七五五円である旨の記載がある。そして、右調書と共に保管されている綾瀬村の書類の写しには「登記未了代金支払済」の土地として本件土地が記載されている。

また、昭和二〇年一一月一三日付けの国有財産係官から資金前渡官吏に対する「土地代金其他支払ニ関スル件通知」と題する書面(乙第二号証)は、昭和二〇年一一月三〇日をもって陸海軍省が廃止されたことに伴い、旧軍による買収対象土地のうち代金未納の物件について同年一一月二一日付けで臨時軍事費をもって横浜興信銀行長後支店を通して代金を支払うために作成された文書であるが、右通知に添付された「土地代金領収証」には代価七五五円について本件元共有者の一人である山口哲之助名義の記名と名下に「山口哲」の印が押捺されている。

(一〇) 本件元共有者又はその相続人(原告らを含む。)は、昭和四九年ころ、本件土地について被告名義への所有権移転登記手続を承諾し、真正なる登記名義の回復を原因とする登記承諾書及び印鑑登録証明書を被告に対し提出した。そして、右登記の承諾については、被告が本件元共有者又はその相続人に対して見舞金名目で一平方メートル当たり一五七〇円の金員を支払うことを前提としていたので、本件元共有者又はその相続人は、昭和五三年、原告山口宣雄(同3)を見舞金の請求及び受領に関する代理人とする旨の委任状を被告に対し提出した。

以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

2  右1の(一)ないし(五)の各事実によれば、昭和一六年六月六日、買収交渉の会場となった綾瀬村国民学校講堂において、通常の買収手続がとられ、主計大佐渡辺から、買収対象土地所有者に対し、買収の申込みと共に、買収価格などの買収条件の提示があり、右買収対象土地所有者は右申込みを承諾し、被告(海軍省)と買収対象土地所有者との間に売買契約が成立したことを推認することができる。なお、《証拠省略》によれば、昭和一六年六月六日の買収対象土地には原告山口文雄所有の土地が含まれていたが、同原告は、同日参集しなかったことが認められる。しかし、《証拠省略》によれば、原告山口文雄は父親の山口勝太郎が出席したので行かなかったことが認められ、同原告は右土地の処分について父親に任せていたと認めるのが相当であるから、右土地についても売買契約は有効に成立しているというべきである。

また、右1の(八)によれば、被告(海軍省)は、昭和一八年八月一七日の買収対象土地のうち、少なくとも本件土地以外の土地については、右土地所有者から登記原因を証する書面としての土地売渡書及び登記承諾書の交付を受けていたことを推認することができ、また、同(九)の事実によれば、昭和二〇年一一月ころまでに、本件元共有者の一人である山口哲之助が被告(海軍省)から本件土地代金として七五五円を受領し、「土地代金領収証」に押捺したことを推認することができ、さらに、同(一〇)の事実によれば、昭和四九年ころ、本件元共有者ないし原告らは、本件土地の所有権が被告にあることを認めていたことを推認することができる。そして、これらの事実と右1の(七)ないし(一〇)の各事実を総合すれば、本件元共有者は、昭和一八年八月一七日、近藤重平又は綾瀬村役場職員を通じて、本件土地が買収の対象となった旨の連絡を受けた際、当時の戦争の熾烈化などの状況からすれば右買収に応ぜざるをえず、買収条件についても被告(海軍省)の申し出のとおりでやむをえないものと考えていたものと推認することができ、以上の諸事実及び前記1の(一)ないし(一〇)の各事実を総合すれば、昭和一八年八月一七日ころ、被告(海軍省)は、綾瀬村役場職員を通じて、本件元共有者に対し、買収代金は坪当たり五円として、本件土地の買収を申し込み、本件元共有者は黙示の意思表示によりこれを承諾したものと認めるのが相当であるから、そのころ、被告(海軍省)と本件元共有者との間に本件土地について売買契約が成立したことを認めることができ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

3(一)  ところで、証人川口頼雄は、証人尋問において、昭和一六年六月六日の綾瀬村国民学校講堂における状況について、買収の交渉はなく、売買契約は締結されなかった旨供述する。しかしながら、同証人の証言によれば、川口は買収対象土地所有者である父親の代わりに綾瀬村国民学校講堂に参集した者であって、生計大佐渡辺の説明について所有地を軍の施設のために提供してもらいたいという要請である旨理解し、日本軍隊が使う航空基地のためには協力しなければならないという気持ちから、係官に印鑑を交付したことが認められ(前記1の(四)参照)、この事実に照らすと、証人川口の前記供述部分を採用することはできない。そして、証人渡辺久七及び原告山口宣雄(同3)らも証人尋問又は本人尋問において証人川口の前記供述と同旨の供述をするが、いずれも伝聞であり、右事実及び前記1の(五)の事実などに照らして、いずれも採用することはできない。

(二) また、原告山口文雄(同5)及び同山口敏正(同9)は、本人尋問において墓地を売買の対象とすることは考えられない旨供述するが、前記1の(五)のとおり、昭和一六年六月六日の買収の対象には本件元共有者の旧墓地が含まれており、右買収が有効に成立していることは、前記2のとおりであって、前掲乙第一号証によれば、右墓地や本件土地のほかにも墓地を買収の対象としていることが認められるから、右原告らの前記供述を採用することはできない。

(三) さらに、原告らは、各本人尋問において本件土地の売買代金を受け取ったことはない旨供述するが、原告らの右供述は、いずれも伝聞であり、概括的であって、前掲乙第二号証及び第一二号証の二に照らして採用することはできない。なお、《証拠省略》によれば、乙第二号証においては、蓼川神社の印影及び増田元一郎の印影が異なっていることなどが認められるが、これらの事実によって乙第二号証の信用性が左右されることはない。また、右乙第一二号証の二及び《証拠省略》によれば、高座郡綾瀬村は昭和二〇年四月以降町制が採られたこと、乙第一二号証の二の所在地欄には、「綾瀬町」の表示があり、地番欄には五三六六の二など買収当時には分筆されていないはずの土地の地番が表示されていることが認められる。しかし、《証拠省略》によれば、右各土地は、分筆前はいずれも本件墓地の敷地の内外にまたがって存在していたものであり、その一部が被告(海軍省)による買収の対象となったものであることが認められ、この事実によれば、被告は買収当時将来右各土地を分筆し枝番「二」を付することを予定していたことを推認することができ、これらの事実と前記1の(九)の事実を総合すれば、乙第一二号証の二の原本は買収土地のうち未登記のもののみをまとめて記載したものであり、分筆が必要な土地については分筆することを前提として綾瀬村が町制を実施した昭和二〇年四月以降に作成されたものと推認することができるから、乙第一二号証の二の買収土地の所在地が「綾瀬町」と表示され、地番の表示として枝番号が付されていることは、右乙号証の信用性を左右するものではないというべきである。

また、前掲乙第一号証では土地の所在欄には「綾瀬村」と記載されているのに対し、前掲乙第一二号証の二(なお、《証拠省略》と右乙第一二号証の二とを対照すれば、前者は後者の原本を筆写したものであると認められる。)の土地の所在欄には「綾瀬町」と記載されているが、乙第一二号証の二の原本の作成経過は、前記認定のとおりであるから、右事実も右乙号各証の信用性を左右するものではない。

(四) また、《証拠省略》には、八木唯雄は、平成元年三月一日、原告戸井田壽一(同Ⅲ)に対し、八木は、昭和一七年三月三〇日以降、本件基地の敷地の所有権移転登記手続を担当していたが、海軍省からの登記嘱託には登記原因を証する書面及び登記義務者の承諾書の添付がなかったこと、しかし、海軍からの命令だからやむなく登記手続をしたことなどを供述した旨の記載がある。しかしながら、本件記録によれば、八木唯雄の健康状態は証人尋問に耐えられないものであることが認められる上、右甲号証は一方当事者である同原告が作成したものであって、同原告がどのような質問を発し、それに対し八木がどのような回答をしたかについては不明であり、その内容も概括的であるから、右甲号証を採用することはできないというべきである。

(五) また、原告山口宣雄(同3)は、前記1の(一〇)の事実について、本人尋問において、登記承諾書については、本件元共有者又はその相続人による本件墓地の敷地の返還交渉の過程で、被告から話合いができた場合に必要だから提出してもらいたい旨要請があったため提出したものであり、委任状についても、右交渉の過程で被告から山口宣雄を代理人として交渉に当たるようにしてもらいたい旨の要請があったため提出したものであって、本件土地を被告に対し売り渡したことを認めて提出したものではない旨供述している。しかしながら、登記承諾書及び印鑑登録証明書を提出した経緯について、原告戸井田壽一(同Ⅲ)は、被告が本件土地の代金を支払うから必要であるとの連絡を受けて交付した旨供述するなど、登記承諾書等の提出の経緯についての原告らの供述には相互で食い違いがあり、あいまいであって、また、《証拠省略》によれば、登記承諾書には、本件土地について真正なる登記名義の回復のため、大蔵省に所有権移転登記嘱託することは差しつかえない旨記載されていること、委任状には厚木基地土地未登記分の見舞金等の請求及び受領の権限を山口宣雄に委任する旨記載されていることが認められ、これらの事実に照らすと、原告らの前記各供述はいずれもこれを採用することはできない。

4  以上のとおりであるから、抗弁1は理由がある。

三  結論

したがって、その余の点について判断するまでもなく、原告らの本訴各請求はいずれも理由がない。

第二反訴請求について

一  請求原因1(本訴請求原因1及び2)、2及び4について

請求原因1、2及び4の事実については、当事者間に争いがない。

二  請求原因3のうち本訴抗弁1について

本訴抗弁1については、前記第一の二のとおり(ただし、「被告」は「反訴原告」と、「原告ら」は「反訴被告ら」と読み替える。)

三  そうすると、被告の反訴請求(主位的請求)は理由がある。

第三結論

以上判示のとおり、原告らの本訴各請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、被告の反訴請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用について民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 鎌田泰輝 裁判官 雨宮則夫 裁判官片山昭人は転補につき、署名捺印することができない。裁判長裁判官 鎌田泰輝)

〈以下省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例